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みんなが幸せに生きるためのポリアモリー。

 

今日はわたしの、ポリアモリー実践者としの日常生活をちょっぴりご報告します。

 

わたしは現在結婚5年弱の人妻で、27歳。3歳の息子がいます。

夫は半年ほど前から関西へ単身赴任中。

 

わたしがポリアモリーに興味を持ち始めたのは夫の単身赴任がきっかけでもあります。 

離れ離れに夫婦が暮らす場合、家に自分と子供が2人だけ…という生活はあまりよくないだろうなと思っていた。(なにより自分が寂しい思いをするだろうことが目に見えていた、というのもありますが。)

 

夫に面と向かって、「恋人が作りたいんだ。何か条件はありますか?」と、相談を持ちかけたのが去年の8月。

 

夫からの条件は、「女の人なら恋人を作ってもいいよ。ただ男の人は絶対にだめ。」

 

というもの。

バイセクシャルのわたしとしては、性別で有り無しを決める感覚になんとなく疑問を持ちつつ、夫の気持ちを尊重したいのでその条件をのみました。

 

そんななか、夫の単身赴任からものの一ヶ月でいまの恋人に出会いました。

ポリアモリー実践者の方が主催していたホームパーティーのような場で出会い、偶然近所に住んでいることが分かり食事に誘ったのです。

 

2人で色々と話しているうちに、あっという間に意気投合。

 

その日に付き合うことを決め、夫にもラインで「恋人ができたよ!」と連絡。

 

それからは、夫が東京へ戻ってくる時には恋人と息子を交え、4人で食事をすることも増えました。

(下の写真は、年始に4人でしゃぶしゃぶをしている図。)

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前述したとおりわたしの恋人は女性なのですが、やはり女性だからなのか?とても優しくて気が効く素晴らしい方です。

 

そしてその優しさはわたしにだけ向けられるものではなく、わたしの息子や夫にも向けられている。

 

関わる人たちみんなに対して、分け隔てなく優しい。こんなに優しい人って現実にいるんだなあ…と、驚くと同時に、自分の心の狭さに気付かされる毎日です。

 

結果として、わたしはポリアモリーを実践すると決めて、夫に「恋人をつくりたい」と相談し、実際に恋人を作って本当に良かった。

 

何よりも、息子に対して恋人が優しいことが一番嬉しいかもしれない。

 

恋人の息子への優しさについては夫もよく理解していて、

 

「〇〇さん(恋人の名前)には本当に良くしてもらって、頭が上がらないね。」

 

と、いつも言っています。

 

よく、メディアやツイッターなどでは『子供を作るつもりならポリアモリーに手を出すべきではない。』という意見を見つけます。

 

それは、将来的に子供が親の交友関係を知って傷ついたり、戸惑ったりする可能性があるからやめておけ。ということなのかもしない。(あとは法律の問題か。)

 

でも、わたしはポリアモリーを実践するしない以前の問題として、子供は色々な立場の大人に囲まれて育つ方が幸せだと考えています。

 

たくさんの大人の中で育てるって、核家族化が進んでいる都心では難しい。

 

緩く繋がれるコミュニティがなかなかないな〜と思っていたら、ポリアモリーについて調べていていく中で様々な立場の人と緩く繋がる方法を見つけた。

 

それは、定期的に開催されている勉強会に参加することだったり、自分自身で参加者を募ってホームパーティを開くことだったり、色々。

 

あまり外交的でなかったわたしがそのようなことができるようになったのは、ポリアモリーという新しいリレーションシップに興味を持っている人たちの懐の広さがあってこそだと思います。

 

『ふしだらな人たち』というレッテルが貼られがちなポリアモリーだけど、その実態は全然違います。

少なくともわたしが繋がっている人たちは、自分の人生に対して能動的で、成功も失敗も他人のせいにしない強さを持っている。

 

そしてとても勉強熱心です。

先日もホームパーティーを我が家で開いたのですが、そこで初めてお会いした方がこんなことを言っていた。

 

「ポリアモリーについて調べていたら、哲学についての言及があったのでそちらにも興味が湧くようになった。勉強したいことがどんどん増えていっています。」

 

と…。

わたし自身も、ポリアモリーを発端として色々なことを学んでいます。

性の進化だったり、歴史だったり、芸術だったり…自分の生活を自分の意思で決定しようと思ったその日から、学ぶべきことは無限に増えていっている。でも、充実しています。

 

もう一度いいます。わたしは、新たに恋人をつくり、一緒に子供と関わっていくという決断をして本当に良かったと思っています。

息子も、恋人のことが大好きでいつも甘えています。

 

周りの人がどんな意見をぶつけてこようと、わたしは自分の周りの大切な人たちが笑っていてくれることを一番大切に生きていきたいです。

 

そう、そしてもちろん、自分が笑っていられる生活を創造することが何よりも大切ですよね。

 

自分と、自分の大切な人たちが幸せに生きるためのポリアモリー

 

こんな生き方してる人もいるんだって、誰かの参考になったら嬉しいです。

 

 

 

 

『アート・ヒステリー』『性の進化論』

もう数年前に出た本ですが、『アート・ヒステリー なんでもかんでもアートな国・ニッポン』を読みました。

 

Amazon CAPTCHAhttps://www.amazon.co.jp/アート・ヒステリー-なんでもかんでもアートな国・ニッポン-大野-左紀子/dp/4309021336

 

日本における『現代アート』の曖昧さや、なぜこんなに文化として浸透しないのか?という素朴な疑問に真正面から切り込んだ本です。

 

『西洋と東洋』
『強い者(国)と弱い者(国)』
『男と女』

 

といった二項対立がよく出てきたのが印象的だった。(自分が『敗戦国である日本に住む女』だから過敏になっているのかもしれません。)

 

日本に『美術』という概念が輸入された明治時代から東日本大震災までを振り返るような内容で、近代〜現代の日本の急速な高度成長は凄まじく、それゆえの弊害もすごいんだ…と、改めて複雑な気持ちになる。

 

そしてこの本を読み進めてる間に、以前読んだ『性の進化論』を思い出した。

Amazon CAPTCHAhttps://www.amazon.co.jp/性の進化論――女性のオルガスムは、なぜ霊長類にだけ発達したか-クリストファー・ライアン/dp/4861824958

 

文明化された社会というのは、いわば男性が作り上げてきた社会だから、必然的に女性は男性からの庇護を受けないと生きられない立場に置かれている。

だけど男性社会が始まる以前は女性が社会を作り上げており、女性は男性の所有物ではなかった。

(男性社会の歴史が一万年ほどなのに対し、女性社会は200万年ほどの歴史があるそう。)

というようなことが永遠と書いてあります。とても面白いです。

 

そして思ったのは、
資本主義が行き詰まれば行き詰まるほど、世界は女性が作りあげてきた社会の雰囲気に戻りつつあるのではないか?ということ。

 

もう1つは、
もし女性がもっとリーダーシップをとって社会を作っていけば、いまのような現代アートの業界はなくなるのではないか?

ということです。

 

(わたしが思う女性社会は、最近流行っている〝post truth ″や 〝再魔術化″ といった世界観に近いと思います。なので、女性社会が到来することが手放しに素晴らしいとは言いません。)

 

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『“火を起こす者”のおかげで人は現実に触れられる。 たとえ現実に身を焼いても』

『おそらく芸術家は…真の芸術家であれば

自らの人生を生きる時、時代に添いながらも同時に変革をもたらす

 

オスカー•ワイルドがこんなことを言った

ターナーが描くまでロンドンに霧はなかった”

 

我々の代わりに芸術家が世の中を見る

ランボーの“見者への手紙”のように

“火を起こす者”のおかげで人は現実に触れられる

たとえ現実に身を焼いても』

 

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(↑Yves Saint Laurentのドキュメンタリー映画『L'amour fou』の中で、Yvesの恋人であり仕事のパートナーであったPierreが、
鬱病傾向になりアルコールとドラッグに溺れていた時期のYvesについて語るときに言った言葉。)

 

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芸大の卒展が近づくと毎年この言葉を思い出す!

 

オスカー・ワイルドとピエール・ベルジェとアルチュール・ランボーの言葉に感動して、これを紹介するブログを書いたのが3年前?

 

 

おそらく、わたしがいままで書いてきたブログのなかで一番多くの人に読まれた記事だと思う。

わたしの気持ちは、このブログを書いた時からずっと変わっていない。今年も卒展を楽しみにしています。

 

友人たち、頑張って。

 

 

 

わたしの命の燃やしかた。

 

昔から川の夢をよく見てきました。

  

その夢につられてか、1人暮らしをするときには必ず川の近くに住むようになっていたほど。

夜、散歩しているときには橋の上から川を覗き込んで。

 

そうすると、頭のなかが空っぽになってとても気持ちが良かったのです。

 

 

そのあと、身近な人が水死する事故が相次ぎました。

 

死んだ人たちの最期が知りたいからなのか、わたしは水の中で溺れる夢を見るようになりました。

 

この間も、海で溺れる夢で目が覚めて、水の気配があるのにここはベッドの上で、自分が生きていることが不思議に思えて涙が止まりませんでした。

 

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恋人と息子と3人で眠っていたときは、こんな夢を見ました。

 

恋人と2人で最寄りの駅に降り立ちました。でも、そこはわたしが知っている駅ではなく、家までの帰り道が分からないのです。

 

でも、恋人がいてくれるから大丈夫。ついていけば家に帰れるだろう。

 

そう思っていたら、恋人が半透明に透けて消えてしまったのです。

 

わたしは知らない土地で1人きり、家に帰る方法も分からず呆然としている。

 

そこで目が覚めました。

 

隣に恋人がいて、ホッとして涙が止まりませんでした。

 

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夢のなかでいつも、わたしは行き先の分からぬ旅をしている様子。

 

それに引き換え現実では、家までの帰り道も知っているし、家族はいるし、水に溺れることもない。

 

だけど、どうにもこの生活に現実感が持てなくていつも泣いているのです。

 

『餓えたこともないくせに生き辛そうなツラしてんじゃない!』

 

と、夫に言われたことがあって本当に死んでやろうかと思いましたが、わたしには守るべき絵たちがあるから死ねないな、と思ってやめました。

 

 

人のためを思って自分の人生を生きる、という生き方はわたしには出来ない。

 

でも、わたしの元にある絵たちは、愛されてさえいれば人の命よりも遥かに長く生きることができる。

 

だから、この絵たちだけは、わたしの死後も生きさせなきゃならない。それこそがわたしの生きる意味で、絵を愛する者の責任だと思っているのです。

 

 

わたしにとって『生きる』とは、『芸術文化の延命に命を賭けること』なんだと。

 

そのことに気付けたときは嬉しかった。

何回夢の中で死んで目が覚めても、現実でやるべきことに命を燃やすことができるから。

 

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 (1月の初頭にも、また新しい作品を迎えます。わたしのサロンに合わせて作ってもらったセミオーダー品。出来上がりがいまから楽しみです。)

 

(ああそれと、どんなに夫と衝突があっても、わしは夫のことを深く愛しているようです。

それは、本人の人格が云々というのを通り越して、彼のことを思い続けた自分の心の歴史を裏切れないからなのでしょう。 

夫婦の間にあるのは、愛というよりむしろ情なのかもしれません。)

 

さよなら、夢の住人たち。

 

夜中にふと目が醒める。さっきまで見ていた夢の内容はよく覚えていないのに、なぜか、死んでしまった人たちのなんて事ない思い出だけが記憶に蘇っていた。

 

例えば、死んだわたしの父が使っていた財布は茶色の小さいものだった、とか。

 

死んだわたしの好きだった人は、夕飯に米2合くらい食べちゃう大食らいだった、とか。そんな些細な思い出たち。

 

 

今日は朝、目が覚めた瞬間からなんとなく嫌な予感しかしなかった。

体の隅々の細胞が下へ下へと落ちていってしまい、何もやる気が湧かず、何を見ても涙しか出てこない。

 

最近、わたしがしょっちゅう泣いているものだから、息子が慰めてくれるようになった。

 

保育園の先生にそう言われているのか?

 

『涙が出てるねえ、よしよし、もう泣かないでいいんだよ。』

 

と、繰り返し言って、抱きしめてくれる。

周りの人たちの優しさのおかげで、随分と優しい子供に育っているなと思う。感謝しなくちゃいけないなあ。

 

 

わたしの夢の中の世界と現実を結びつけてくれていた大切な人たちはもういないんだ。

 

本当は現実に存在していなかったのかもしれない。それくらい、みんな儚い存在だった。だから、もう会えなくても仕方ないのだろう。

 

たとえ生きていても、音信不通の友人が多い。きっとわたしはそんな、地に足がついていない人間が好きなんだ。

 

この冬に、もしかしたら5年ぶりに会えるかもしれない、と思っていた友人がいるのだが、残念ながらその可能性はないことが先日分かってしまった。

どうしても会いたいという想いだけが空中に浮いている。物理的には、その人に宛てた手紙がわたしのかばんの中で日に日にクタクタになっている。

 

 

さよなら、夢の住人たち。

さよなら、わたしの大好きなみんな。

 

 

争いと芸術の歴史を想うアメリカ大統領選。

 

アメリカの大統領選が終わった。

 

そして今日は、わたしの脳内ソング=ワルキューレの騎行だった。

 

 

 

わたしにとってのワルキューレはもっぱら地獄の黙示録(ベトナム戦争)であり、ワーグナーナチスの象徴(ホロコースト)。

この脳内再生、アメリカ大統領選の影響があるんだか、ないんだか。いずれにせよ争いと芸術の蜜月関係を、自分の空想世界のなかで改めて感じた。

 

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(最近、なんでか2011年の思い出が怒涛のペースで思い出される。

 

上野の喫茶店で仲良かった油画の先輩たちと話していて、
『あの津波の景色は、不謹慎なのは承知でいうけど美しさがあった。画家なら、あの光景に美しさを感じる感性はどうしても拭えないんじゃないのかな?』
と、先輩が言ったのをふと思い出したの。

 

当時、自分はもちろん、先輩や芸大の先生をはじめとする『美術家』全般が信じられなかった。

美術家っていうのは、本当に信頼に値する感性を持っている人間なのだろうか?と、心の底から疑った。
当たり前だけど、作品の質は誠実さで決定されるものではないから、そんなことを考えること自体が愚問なのだろう。それでも、わたしは考えていたし、少なくとも自分は次世代から信頼される大人になってみたいと、強く思ったのを覚えている。

 

そして五年経ったいまとなっては、美術家よりも、ドキュメンタリー作家よりも、小説家や詩人のほうが遥かに信頼に値するんじゃないかと思ってる。言葉というメディアのもつ特性なのかもしれない。

 

世界で一番有名だった壁が民衆の手により壊された記念すべき年に生まれた赤ん坊の私は、27年の時を経て、圧倒的な他者との隔たりのなかで生きていくことになるとは思いもしなかったろうに。

少なくとも、ただ生きることがこんなに悲しいことだとは知らなかったよ。

何もかも困難でいやになるけど、感情をぐっとこらえて、少なくとも、まだ見ぬ孫たちの世代に土下座する心意気だけは死ぬまで持っていなければならん。

 

わたしが生きる理由を『あえて』持っているとすれば、それは孫の前で土下座する未来を迎えることかもしれない。(※比喩ですよ。)

『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』からの覚書。

最近、自身が発達障害であることをカムアウトして話題になっている栗原類さん。

ネットに出ていた いくつかの記事をよんで、とても興味を持ったので著書を買いました。

彼の幼少期の出来事などを読んでいると、すごく親近感がわくことが多い…。

 

たとえば、あまり仲良くもないのに好きになった女の子に告白し、振られたときのエピソードを振り返ってのひとこと。

 

普通は互いのことをよく知ってから好きになるんだということに気がついていなかったのです。これは昔から僕が他人に対する興味が薄かったことが裏目に出てしまった結果だと思います。

 

ああ、なんか分かる!

わたしは思春期のころからいままで、人を好きになるときは一目惚ればかり。時間をかけて好きになるという経験がほとんどありませんでした。

 

一番分かりやすいのは、夫を好きになったときのエピソードでしょうか。

 

夫と出会ったのはわたしが17歳のときで、その時はなんとも思わなかったのですが、なぜか18歳で2回目に彼と話したとき、「あ、わたしはこの人と結婚する。」と信じて疑わなかったのです。

 

紆余曲折を経て、わたしと彼は本当に結婚したのでめでたしめでたしですが、客観的になるとこの思い込みにはドン引きですね。

 

現に、わたしが彼に片思いしていた時期を知っている友人には、「ストーカーじみてて気持ち悪い。」とも言われていました。そうですよね、その通りだと思うよ…。

 

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母親に聞いたことがあるのですが、わたしは生後半年経っても寝返をうたなかったそうです。(平均的には、生後3ヶ月くらいで寝返りうちます。)

 

しかも、産まれてから一度も、注射で泣いたことがない。

最初は痛覚がないじゃないかと心配したとか。

(ちなみに現在、痛覚はあります。ただ、出産を含め痛みで泣いたことは人生で一度もないので、感覚は鈍いのかもしれません。)

 

母は、「もしかして、障害がある子供なのかな?」と思ったそうですが、わたしが三人兄弟の末っ子だったのもあり、日々が忙しくそこまで深刻に悩まなかったそう。

よって医者に連れてかれることもなく、わたしは「普通の子供」として育ってきました。

 

なんですが、子供の頃を思い出してみるとやはりちょっとおかしかったと思う。

 

まず、他人はおろか、家族ともあまり会話をしませんでした。

いつもじっと黙って、人の話を聞くだけで発言はしない。小学校低学年くらいまで、あまりにも一人で本ばかり読んでいるので担任の先生に心配されていたのをよく覚えています。

(他人への興味が薄かったのでしょう。思えば空想ばかりしていた幼少期だった。)

 

そして、小学校に上がると『変なこだわり』に固執する日々でした。

 

朝は何時の電車に乗って、帰りは何時の電車に乗る。そのためならいくらでも走るし、友達だって置いてく。

他人とのコミュニケーションよりも自分が決めた時間の電車に乗ることが大切だったのです。そのこだわり自体には何の意味もないのですが…。ただなんとなく、秩序が乱されると落ち着かないんですよね。その傾向はいまでもあります。

 

成人してからも、なんかわたしっておかしいなあと思うことは多い。

 

まず、真剣に人の話を聞いていると、何故か寝てしまう。

別に寝不足でなくとも眠くなってしまうのです。わたしがあまりにも授業中に寝ているものだから、大学の友人がびっくりして、「それ病気だよ!」といわれたことも。(もちろん、座学の成績は常に悲惨なものでした。特に暗記系。)

 

あとは、人が話している内容に過剰反応する癖が大学生くらいまでずっと治らなかった。

芸大に通っていたとき、先生と生徒でグループディスカッションみたいなものをすることがあるのですが、そのときに同級生が言っている意見に拒絶反応を示してしまい、ずっと手で耳を塞いでいたことがあったなあ。

 

社会人になってからは、本当にたくさんの人と会話をするようになったので、他人の意見に拒絶反応を示すことはずいぶん減りました。

それでも、未だに複数人でのコミュニケーションで勝手に傷ついてしまうことは多いです。最近は、そんなシーンでも傷つかないで済むようになることが目標…。

 

(こんな人間だったので、学生時代にぼっちであったことは言うまでもありません。)

 

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それでもいままで、わたしは自分が病気だなんて思ったことは一度もありませんでした。

 

だけど今年に入ってから、やたらと心身の不調を起こしやすくなり、夫に「病気だから早く医者に行け」「おまえの自己肯定感の低さは異常」と言われるようになって、やっと自分がいわゆる病気なんじゃないか?と疑うようになりました。

 

ナチュラルに「死にたい」って言うし、調子が悪いときは動機や不整脈がすごいし、幻聴もよく聞こえる。

 

夫が言った些細な言葉に傷ついてはすぐ泣く。(しかも外食中とか)

 

わたしは自己愛がゼロどころかマイナス評価なので、ちょっとでも「正しくない」と思う言動をしてしまうと、自分が許せなくなって怒りが湧く。

 

そういった自分の中の繊細さとこだわりが、自分の精神を追い詰めているのが分かります。

 

それでも自分なりに、こだわりをプラスに転換して生きられるよう、工夫しているつもりです。

 

だって、持って産まれたものは取り替えようがないのだもの。天性のセンスを批判したところで誰も幸せにはなりません。センスは生かしてなんぼです。

 

 

栗原さんの本を読んでいると、彼を支えてきたお母様の一言一言が胸に刺さります。

 

「十人十色」という言葉を大切にして、ADDの症状も「個性」として受け止める。

その上で、社会人としてマイナスになってしまいそうな場面ではしっかりとフォローすることを忘れない。

 

そんなお母様の支えがあったからこその栗原さんなんだな…と思うと、「わたしも、数多くの他者の支えがあるから生きていられるんだなあ。」と再確認できる。

 

いつもわたしを支えてくれる夫や夫の両親、わたしの母、暖かい友人たちには頭が上がりません。

 

今日はちょっと熱があって

散漫な文章で申し訳ないのですが、感謝の気持ちを綴っておきたかったので覚書までに。

 

(わたしは本当にラッキーな人間だなあ。

死にたがりだし(自己愛のない人間が生きていていい理由を見つけるのはなかなか大変なのてます)、不整脈もあれば幻聴もあるし、極め付けは体力もない。

それでもなぜか学歴はあるし商売はまあまあ成功してるし、真面目な夫もいるし可愛い息子までもててしまった。

たまに、なんでわたしみたいな人間がこんなに色々なものを手に入れて生きてるんだろう?と、不思議な気分になります。)