なんで『マイノリティ』という言葉をつかうのか。

先日、ポリアモリーを実践している友人にこんなメッセージをもらった。

 

簡潔にいえば、『自分のことをマイノリティと分類するのに違和感がある』という話。

 

それはわたしもすごく同意した。

だって、ポリアモリーの性質や関係というのは自分のなかから自然に立ち上がってきたものに過ぎない。

それが多数派か少数派かなんて気にするのは、本来非常にナンセンスなことだ。

 

…だけど、

わたしは仕事上、たくさんの人間のたくさんの弱さに向き合わなきゃいけない。

その弱さをお客さんと一緒に乗り越えていくためには、

『マイノリティとして受けた仕打ちにより傷ついた心をいかに乗り越え、振る舞っていくのか。』

というテーマにいやでも向き合わなければいけないのだ。

 

なので、

わたしは自分をマイノリティとは思っていないながらも、そう表明したほうがたくさんの人と繋がりやすい。

または、円滑に関係を築いていきやすい、円滑に仕事も進みやすい。

 

だから表明することにしている。

 

要するに、わたしのこの振る舞いは

『社会や他人に対する責任としてのマイノリティの表明』

なんだと思う。

 

(あとは、単純にポリアモリーの人がもっと自分から手を挙げてくれる社会になったらきっと楽しくなるだろうなってワクワクしてるよ。)