ポリアモリーって究極の個人主義?

わたしは生家の家族とあまり仲がよくありません。

 

ただ、仲が良くないだけで悪いわけではない。お互いにお互いの考えや生活には干渉しない、ある意味気楽な関係です。

 

そこまで『家』に縛られていないので、全体主義で家族の絆を重視する日本にしては珍しい雰囲気かもしれません。

 

…なのですが、それなりに思春期のころには衝突もありました。

特に父が亡くなったあとは母とソリが合わなくてあまり家にも帰らず、放課後はフラフラ。

 

ある日、

『お母さんはわたしのこと何も分かろうとしてないじゃないか!』

と言ったら、

『そりゃそうよ、わかるわけないじゃない!』

 

と、まさかの言葉を言い返され、なんか拍子抜けしちゃったんですよね。

 

『そうか、分からないって言ってる人に、無理やり分かれと気持ちを押し付けるのはよくないことだ。たとえそれが母であったとしても。』

 

と、この日を境にわたしは生家を出ることを決意。

大学進学を機に一人暮らしをはじめ、以後、実家に戻ることはありませんでした。

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なのでわたしは、家族に対するシンパシーもなければ地元や生家への愛着もない。

 

良く分からない土地の良く分からない部屋に住み、見知らぬ人にの中でひっそりと生きることが当たり前。

 

ある意味、近所付き合いや親戚付き合いがなく良かったのだけど、

あまりにも個人主義を徹底した生き方を貫き通したため、時々強い孤独を感じるのです。

 

わたしの人生はわたしのもの!

だれどどこにいようがわたしの勝手!

人の指図なんかきくものか!

帰りたい故郷なんて、そんなもの必要ない!

 

全てを突っぱねて生きなければならない理由は色々あったけど、物心ついたときからこんな性格だったから、もはや先天的な性質なんだと割り切っています。

 

だけど。

 

結婚して5年、

わたしはずっと不思議だった。

どうして、夫と夫の親兄弟はこんなにも硬い絆で結ばれているんだろう?って。

 

わたしの夫の家族はとても仲が良い。

というより、仲間意識が強く団結力があるといえる。手の内を隠さずに、色々な情報を交換している光景は、わたしの家族にはありえなかったものだ。

 

『こんなに仲の良い家族の仲間入りができてよかったなあ!』

 

と思う反面、

 

『こんなに家族のために忠義を尽くせるなんて、わたしにはとても考えられない。』

 

と、少し遠巻きに見てしまうこともある。

 

最近、夫との価値観の食い違いで疲れることが多く、

 

いよいよ、

『もう夫と同じお墓には入りたくない。

なんで、死んでまで家族っていう組織に縛られなきゃいけないの?

死んだあとくらい、わたし一人で静かに眠らせてよ!』

と思うようになってしまった。

 

でも、これがわたしの元々あった性質で、腹の底の本音なんだと思った。

 

だから、

わたしは家族や世間体というものに縛られない、ポリアモリーという生き方に憧れているのでしょう。

 

自分の頭で考え続けて、人と繋がる。

 

そのポリアモリー実践者の姿勢は、さながら究極の個人主義

 

わたしはもっと強くなりたい。

 

 (追記;夫に、『死んだら墓に入るのでなく樹木葬にしてほしい』と頼んだら、『骨を半分に分けて半分は樹木葬、半分は俺の墓に入ってくれ』とのこと。

 

たしかに、それも折衷案として良いのかな、と思ったので、死後はそんな予定でいます。)