『弱者』を多角的に捉えてみる。

 

『自分の弱さを自分が肯定してしまったらもう生きられない』

 

という不安に支配されてた時代がようやく終わり、

 

『別に弱いままでも生きていけるんだ!』

 

ということに気がつくことができた2016年。 ある意味で、わたしは相当な強さを手に入れたのかもしれない。

 

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今日は、自分で見つけた情報や夫が見つけてくれた情報をたくさん読み漁った。

夫と話をしていると、いつも『弱者と強者』の話題になる。

 

私と夫の力関係は、夫が強者で私が弱者。

 

だけど、果たして本当にそうなのかな?

 

そんな素朴な疑問から、主に弱者についての情報を集めました。

 

まずは、キリスト教における弱者の定義。↓

 

弱さを誇る

 

http://www.geocities.jp/kihara0918/yowasanogyakusetsu.html

 

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次に、イスラム教の弱者の定義↓

 

ameblo.jp

 

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そして最後に、うつ病患者としての弱者の扱いについて。↓

diamond.jp

 

 

キリスト教における弱者】
イスラム教における弱者】
【現代における鬱病患者としての弱者】

 

それぞれの視点が興味深い。

 

あらゆる宗教や時代感覚を比較してみて思うのは、
現代は、みんな弱さに対して悪いイメージを持ちすぎ。

 

ということ。

 

ちなみに、わたしなんて昔からとてつもなく豆腐メンタルで基本的に幸福感を感じるのは年に数回もありませんけど、

 

『なにかそれって問題あるのかな?だってわたし、別に幸福になるために人間やってるわけじゃないし。』

 

っていうスタンスできました。

 

だから、常にネガティヴで鬱傾向なのは自分で選択してきた『個性』だと思ってる。

 

ゆえに、自分の弱さを無理矢理になかったことにしてしまった途端にアイデンティティが語れなくなる。それはわたしの尊厳に関わる大問題だ!

 

(でも夫からしてみれば、わたしは立派な鬱病患者だから早く薬物治療をしたほうがいいそうだ。

薬物でもってわたしのアイデンティティを壊されるのはごめんだから、絶対に病院にはいかないけど。

だっていまのところ日常生活も仕事も普通レベルには送れているのにだよ?

 

薬物治療を安易に始めるのはとてもリスキーだ。

治療は、わたしが本格的に自殺未遂でもしてから考えていただきたいところです。)