「投薬治療をするってのは、このクソみたいな世界でどうにか生き抜くために薬物中毒になることなんだ」

 

最近、ちょっとだけ食べ物を口にしただけなのにグワーっとだるくなってぶっ倒れそうになる。

もしや、これって低血糖症ってやつだろうか?

食べたら食べたで仕事にならないし、かといって食べなければ死ぬので、困っている。

 

めまい、動機、不整脈、手の震え、幻聴、あとは夕方過ぎると喉が締められてるみたいに苦しい、などの症状がある。

 

冷静に不調を並べると、ものすごい病人感あるなあ。

 

でも、十代のころから幻聴が聞こえるのは当たり前だったので、それ自体になんの問題があるのか分からない。

 

わたしは長いこと、不調と程よく共存してきてしまった。

よって、自分が病人だと思ったことも一度もないのです。

 

…いままで、投薬治療によって薬に振り回されている友人知人、元恋人などの姿をたくさん見てきました。

 

その経験から、わたしは医者に処方箋を出してもらって薬をもらうことに不信感があるのです。

 

 

精神疾患や自律神経の治療はほんとうに難しい。

 

だって、薬で完治するのは患者の1パーセントしかいないというのだから。

わたしの家族にも30年鬱病の人がいるが、ずっとずっと入退院を繰り返していて、常に現状維持が精一杯。

 

 

だからと言って、投薬治療を全否定しているわけでもない。

 

薬で制御しなきゃ、人を殺してしまう患者がいるのも1つの事実。

精神薬が無くては生きていけない人が沢山いるのは、それなりに理解しているつもり。

 

 

投薬治療をはじめると、たいていの人がアイデンティティのことで思い悩むようになる。

 

自分の感情が薬によって制御されてることで、自分の意思を見失ってしまうのだ。

それがどれほど苦痛で不安なことか、想像しただけでも胸が痛い。

 

そして、それを側でみている家族や友人もまた、とてもとても苦しいんだ。

 

 

わたしの家族…。

30年間鬱病と闘い続けている家族をみているといつも思う。

 

「投薬治療をするってのは、このクソみたいな世界でどうにか生き抜くために薬物中毒になることなんだ。」

 

って。

 

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わたしの父は家族の不仲からくる不摂生な食生活が原因で40代で末期ガンになって死んだ。

 

今でも鮮明に思い出せる。

抗がん剤を打っては、激しい苦痛のなか闘病する彼の姿を。

 

それはさながら拷問のようだった。

 

 

 

だからわたしは父に、

「ガンで死ぬのは死に方として悪くないから早く死んでいいんだよ。」

と言った。

 

そしたら父は本当に、翌日亡くなった。

 

もう10年以上前のことだ。

にも関わらず、わたしは、もっと早くこの言葉を父に言ってあげるべきだったと後悔している。

 

そしたら、大切な大切な家族にあんな苦しい闘病生活を強いることなく逝かせてあげることができたのだから。

 

 

思春期の頃に直面した父の闘病生活。

 

そのおかげで、わたしは投薬を介して他人にコントロールされて生きることに嫌悪感を抱くようになった。

 

そして、「わたしは自分の意思で死ぬ時期を決めたい。」と思うタイプの人間になった。

 

 

だからと言って、命を粗末にするつもりは毛頭ない。

 

わたしはただ、神から預かった命をできる限り美しい状態でお返ししたい、と思っているだけだ。

 

そして、どんなにこの世の中がクソであったとしても、

 

芸術や自然の中の《美》に対して圧倒的な信頼感があるからわたしは生きていける。

 

今日も、美しい自然と美しい芸術に感謝。

 

色々しんどい時期もあるけれど、なんとか、自分の理想の世界を自ら稼いだお金で実現できる大人になった自分は好きだ。

 

今日まで生かしてくださったわたしの中の神さまにも、心からの感謝を。