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素晴らしい表現者が素晴らしい人格者になり得ない理由。

わたしは能鑑賞が大好きです。

でもこの趣味、同世代で共有できることがあまりない。ちょっと理解するには勉強が必要だし、エンタメとしては渋すぎることが問題なのかなあ…。

なので、能を一緒に観に行ってくれる友人か恋人がほしいと常々思っている。

この本は、能の入門書としてとてもよかったです。https://www.shogakukan.co.jp/books/09388311


要するに、知的で探究心があり過去の文化に敬意が払える人がいいのです。男でも女でも、性別は問いません。

知的で探究心があり過去の文化に敬意を払えるという意味では、わたしの夫はパーフェクト。すべて当てはまる稀有な存在の1人。

ただ、文化や作品に対する解釈は結構違う。
男女の感性の差もあるとは思うのだけど、例えば抽象表現主義の巨匠であるマーク・ロスコの解釈も、わたしたちはかなり違うの。

夫と会話をするなかで、
「なるほど、そんな解釈もあるのか。」
と、新しい発見ができるのはとても面白く、人間として成長するうえで大切な関係を築けていると思う。

それでも時々、
「言葉を交わさなくても、見つめ合っていればお互いの気持ちがわかる…」
みたいな、アホみたいに幼稚な恋愛願望が湧き出てくることがある。

夫とは、120パーセントくらいちゃんと言葉でコミュニケーションとらないと何も伝わらないから。ジレンマですね。


わたしは、
知的で探究心があり過去の文化に敬意を払えて、かつ素晴らしい表現者であれば、どんなに倫理観に問題があってもその人を好きになってしまう。

素晴らしい表現者が素晴らしい人格者であることはほとんどない。その矛盾が人間として美しいと思うからだ。


過去の歴史や文化を紐解けば紐解くほどに、現代の社会構造や倫理観に疑問を持たないではいられない。

そしてそれを社会にぶつける。それが表現者の仕事。

であるならば、素晴らしい表現者が倫理的に問題のある人物とされてしまうのは当然の流れなんだ。


自分の気持ちに従えば従うほど、生きづらい。

でもそのジレンマさえ美しい。

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わたしが過去に最も愛した人は、とても繊細で脆くて、人の気持ちがよく分かって、人当たりがよくって人気者だった。

でも、どこかいつも肩身の狭そうな様子で、日本にいたくなさそうだった。

その人は、いまはドイツで哲学の勉強をしているらしい。


もしもドイツが素晴らしい居場所になっているなら、本当に嬉しいなあ。

さすが、わたしが最も愛したひと。

たとえひとりぼっちになってしまうとしても、生き方を妥協しない。

あの人こそ、真に美しいひとだと思う。