世界史とわたしと美容の仕事。

わたしが生まれたのは1989年。
世界史と照らし合わせてみると、ソ連が崩壊する2年前である。

もちろんソ連崩壊の様子をリアルタイムで覚えているわけはないが、数年前に読んだ本の中で印象深いエピソードがあったので紹介したい。

1991年、ソ連崩壊直前のサンクトペテルブルクにはまともに食べるものさえないどん底の状態だった。
そしてそこでは、サンクトペテルブルク大学(日本でいう東大)のエリート女子学生が、観光客相手に売春をしているのが当たり前だったのだという。

高校のころに習った世界史の授業では、もちろんこのようなエピソードに触れることはない。

本を読みながらわたしは思った。

「国が崩壊するという究極的な危機のもとでは、どんなに優秀な頭脳も役にたたず、体を売るという原始的な仕事くらいでしか生きる糧を得られないのだな。」

と。

現代の日本に焦点をあててみると、このソ連崩壊のエピソードはあながち他人事ではないように感じる。

ここ数年、高学歴の女子学生が水商売や売春で生計を立てているとの報道も増えている。
きわめつけは奨学金の返済のために援助交際を斡旋する会社まで現れはじめた。まったく。とても先進国とは思えないありさまだ。

バブルがはじけ、経済成長の見込みがなくなって暗澹たる雰囲気に飲み込まれてから20年以上になる。

障害者への年金や子供の教育資金、ひとり親家庭への援助は年々減額の一途をたどっているし、国が社会的弱者を切り捨てる方向に舵を切っていることは火を見るよりも明らかだ。


さて。

時をいくらか進めて、2008年のことを思い出してみようか。

この時、わたしは高校3年生。そして世界中を震撼させたエピソードといえば、いわずもがな、リーマンショックをはじめとするファイナンシャル・クライシスである。

ファイナンシャル・クライシスによって、自分や自分の家族に直接的なダメージは無かった。
しかし少し視野を広げれば、日本でもたくさんの人たちが職を追われていた。

わたしの知人であったトラック運転手の男性は、リーマンショックにより会社が傾いてしまい、同僚を首吊り自殺で亡くしている。(その出来事を経て、彼は資格をとり刑務官に転職した。)

そして2011年の震災を経て、2016年のいま、わたしたちを取り巻く世界はどんな様相だろう?

また本からの引用になるが、どうやら今は資本主義の終焉がほど近い大転換期にさしかかっているようだ。以下、《資本主義の終焉、その先の世界》から一部抜粋する。

                  • -

『歴史の危機』とは既存のシステムが崩壊し機能不全に陥ってはいるが、いまだに新しいシステムの姿、形がみえない状況をいいます。

歴史家であるヤーコプ・ブルクハルトは『歴史の危機』として三つの事例を挙げています。

1つはローマ帝国の崩壊(476年)からカール大帝戴冠式(800年)まで、次はビザンチン帝国崩壊(1453年)で中世が終わり、ウエストファリア条約(1648年)で近代が誕生するまでのいわゆる「長い16世紀」です。三度目がフランス革命(1789年)から普仏戦争(1871年)までで絶対王政が打倒され市民社会が到来するまでです。

                    • (抜粋終わり)

そして、この三度の『歴史の危機』に次ぐ4度目の危機が、いまわたしたちが生きている21世紀の資本主義社会に訪れているというのだ。

言われてみれば確かにそうだ。世界規模の金融危機から8年、今度はドイツ銀行が1日で9.3パーセントの急激な株価下落を記録したのが9月16日。今日は10月4日だが、この結末は一体どうなるのだろう。(おそらく、ヨーロッパとアメリカに激震が走ることはもはや避けられないだろうが。まさにいま、莫大な額のカネの大移動が始まろうとしている。)

おっと、日本はよその国の心配をしていられるほど優雅な国ではなかった。何と言っても国債の金額は世界一なのだから。
それに加え、全国各地で頻発する地震放射能の恐怖、下りゆく一方の給与。支給されるかどうかも定かでない年金…。

このような暗澹たる現実を前に、わたしはどうやって生きていけば良いのだろう?

何の資産も持たない一庶民である自分の生業を考えた時、いわゆる《ビンボー覚悟のアーティストになる》という選択はあまりにも非現実的だった。

どうせビンボーになるなら、精一杯金を稼ごうと奮闘した暁にビンボーになりたい。
高度成長期に青年時代を過ごした自分の親の世代や、バブル世代が20代だったときとは状況がまるで違うのだ。最初からビンボーに生きることを認めてしまっては、「わたし、本当にのたれ死ぬ。」そう思った。

なにせここは、どれだけお先真っ暗であったとしてもまだまだ資本主義社会なのだ。悔しいことだが、富める者は強く貧しいものは弱い。その常識はどうしたって個人の力では覆しようがない。

だからと言って、大手の会社に入って月に100時間の残業をするだとか、もしくは中小企業に入ってボーナス無しの年収300万円以下で屍のように生きるとか、どちらもわたしには耐えられそうにないと思った。(要するに、根性はないくせにプライドが高くワガママ放題な人間なのだ。我ながらどうしようもないヤツだと思う。)

そんなわけで、わたしは25歳でごく小規模に起業した。結婚してから都心に買った小綺麗なマンションの一室を美容サロンにして、女性を美しくする仕事をはじめたのだ。

これが意外とすぐに起動に乗った。はじめて2ヶ月ほどで月収25万円くらいは稼げたので、平均的なサラリーマンの初任給よりはいい額だ。それからは、絵を描いたり伝統芸能を習ったり子育てをしたり、さまざなことを楽しむ時間の余裕を残しながらも30〜50万円くらいは稼げている。
起業家としてはこんな数字はカスみたいなもんだが、一庶民、しかも幼児の子育て中の母親にしてはなかなか優雅な生活を送っていると言ってよいだろう。

なぜわたしがこんなにカネについて語るのかといえば、美について考えるだとか、文化的な生活をするだとか、精神的にゆとりのある人生を送るためには時間とカネ(特に教養を得続けるための資金)が不可欠だと考えているからである。


日本は明治維新第二次世界大戦を経て、自国の文化を悲しいまでに捨て去ってきた。

美容の仕事をするようになってからは、そのことが肌感覚でわかる。
長い年月を経て構築してきた日本人の美意識や化粧の方法、身体の扱い方、魅せ方など、道ゆく女性たちはそれらを学ぶ機会を持つことができない。
それが現在の日本の悲しいありさまなのだ。

海外から輸入された美意識や方法論でどんなに着飾ろうが、それが自分のアイデンティティとうまく溶け合うことは稀である。
そのことに気づかないから、日本の女性はどこか自分に自信が持てず、引け目を感じ、自己肯定感が低くなる。
果てには、「わたしは美しくないから生きている価値がない。」という苦しみに苛まれ、自殺するケースだって後を絶たないのだ。

わたしは、どんなに周りに理解者がいなくとも、そのことから目を背けたくない。

わたしが美術の勉強を通して美容の仕事に行き着いたのは、以上の理由からごく自然な流れだった。
美術にせよ美容にせよ、抱えている歴史的な問題は何も変わらない。しかし一つ違うのは、美術の業界よりは美容の業界のほうが規模が大きいこと。そして、特に自分と同じくらいの若い女性の興味の対象となっているのは圧倒的に美容業界なのである。

どうせビジネスをやるなら、入り口が大きく開かれた業界で勝負をしてみたい。わたしはそう思ったのだ。

(続く)