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東京で生き続けるということ。

死後の世界の概念として天国や地獄があるが、日本全国、津々浦々に天国も地獄もある、とわたしは思う。

総武線の中で、怒りとストレスが限界を越えて叫びだす女性。

人の往来が激しい地下鉄通路で、整然とダンボールハウスに身を包むホームレス。

国会図書館で、「おれが高卒だから馬鹿にしてんだろ!」と、学歴コンプレックスを係員にぶつける中年男性。


我が家の寝室のカーテンを開けると、何かしらの会社のビルがみえる。
その会社にはカーテンがないから、あくせく働く人々の姿が黄色い光のなか、いつでも見える。

そう、いつでも見れるのだ。

平日の朝から夜までではなく、土曜の深夜や日曜でも。

その様子を見ていると気分が憂鬱になってくるから、わたしは寝室のカーテンを開けないようにしている。


このような光景が日時茶飯事になっているこの世界を、地獄と呼ばずになんと呼ぼう?


わたしは、夜食を買いに深夜の街へ繰り出した。夜でもそれなりに車は走り、ポツポツと人も歩いている。

そしてどこかのビルの上のほうでは、缶詰めにされて働いている人もいるのだろう。わたしの目に見えないだけで、きっと、ものすごくたくさん。

わたしが住んでいる千代田区は人口が4万人しかいない。
日本の年間自殺者は3万人で、遺書が見つからない不審死も併せると10万人(おそらく自殺)。
一年の間に、千代田区の人口の2.5倍の人が自殺してると考えると、いつも呆然としてしまう。


電通の、過労の末に自殺した女性の話もそうだが、東京で残業100時間なんていうのは普通である。
わたしの夫だって負けないくらい働いている。それに、土日の休みなんて幻のようなものだ…。

そのような激務に対し、どうして続けられるの?と、彼に聞いたことがある。

そしたら、
「君がいるから頑張れるんだよ。」
と、言われてしまった。

そうか、わたしがいるから、わたしと結婚したから、わたしが子供を産んだから、あの人はあんなに働かなくちゃいけないんだね。

そうか、だったら、わたしなんていない方がいいんじゃないの?

だって、わたしさえいなければ、彼はもっとまともな勤務時間の仕事につけるじゃないか。


わたしなんかいなければいいのに…。

一時期、そのような気持ちに苛まれ続けたことがあった。夫はわたしのために毎日遅くまで働いていると言うが、結果的には、そのせいでわたしは苦しむこととなった。なんとも馬鹿げた矛盾。正に地獄だ。

それでも、夫は自分の意思でそうやって生きる道を選んだ。

だから、わたしは一定の距離を保ちつつ見守るしかない。
夫婦であっても、本当に大切なことは個人個人の問題である。世界で一番お互いを愛していたとしても、最後に決定するのは自分の意思なのだ。

「夫が過労死しても、きっとわたしは泣けないだろうな。」

わたしは暗闇のなかでぼんやりと光る街頭の光を見ながら、そんなことを考えていた。



働き盛りの世代にとって、東京はこの世の地獄である。

わたしは東京で27年間育った。
この地獄で正気を保って生き続けるためには、それ相応のテクニックというものが必要になる。わたしは幼いころからそれを意識的に習得してきたので、どうにか今日まで生きることができた。

でも、就職や大学進学のために上京してくる人はそうもいかない。

いままでとあまりにも違う、雑多で冷たい生活に、何度も心が折れそうになったことがあるんじゃない?

でもね、安心してほしい。あなたたちには帰って一息つく《ふるさと》がある。

もう、東京で生きることがどうしようもなく辛くなったら、ふるさとへ帰ってしまえばいい。
そうしたからって、誰もあなたのことを貶したり、馬鹿にしたりしない。自分の心を守るために、幸せになるために、後ろ指を指されながらでも、行動すればいいんだ。


だから覚えておいてほしい。あなたにはわたしと違って、帰れる場所があるということを。

東京以外に帰る場所のないわたしは、自分と同じ境遇の人をどうにか助けたいと思っている。

助けたいというか、助け・助けられる関係を、丁寧に築いていきたい。というかんじだ。


そのために、まずは心からの「ありがとう」を言おうじゃないか。

家族にも、お客さんにも、ご近所さんにも、コンビニの店員さんにも、みんなにニコリと笑って「ありがとう」と言う。

結局は、こういう小さな行動ひとつひとつでしか、自分の周りを良い環境にすることはできないんだろう。

わたしはそれがよくわかっているから、生きている間は精一杯「ありがとう」を言い続けるよ。


それでは、東京の深い深い暗闇のなかに、溶け込むように眠ってしまおうか。

わたしは東京生まれの東京育ち。
地獄の暗闇なんて、ほんとは親友みたいなものなんだ。