真摯に生きた証として、与えられたギフト。

東日本大震災がおきた2011年、わたしは大学三年生だった。

数々の混乱が人々を不安に追い込むなか、石巻市へボランティアに行った。2011年の6月のことだ。


…ああ、そうだ。
これは石巻市から帰ってきてから描いた絵だ。

気持ちの整理がつかず、これは捨ててしまった。いま思えば、とっておけばよかったとも思うが…これも一つのリアルかな。

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目には見えなくとも、真摯な思いで作った作品には必ず魂が宿っていて、その魂が自分に必要な人間を運んでくれてる。

それが、昔から感じているわたしにとっての『リアル』。

…そして石巻市の訪問から2年後。

卒業制作を展示し終えたその日に、わたしの体内にやってきたのが息子だ。作品がもたらしてくれた、人生最大のギフト。


わたしは、石巻市へボランティアへ行ったことを自慢したいわけでも、誇りに思っているわけでもない。

逆に、『本当に苦しい思いをしている人たちに対して、何もすることができなかった。』

という、どうしようもない無力感だけを携えて、東京へ戻ってきたのだ。

不謹慎かもしれないが、わたしは『真摯に生きる』ということを、東北の地震で亡くなった沢山の人々、そして大切な人たちに先立たれてしまった沢山の人々から学んだ。


いまのわたしがいるのは、何千何万という死者とその周りにいる人々のやり場のない気持ちのおかげ。

死を意識することでしが、人は真摯に生きることができない。

愚かなことだと思うが、実際に、自分はそうだった。


だからわたしは、生きている間は精一杯、真摯な人間でありたい。

人間は必ず、与えられたぶんだけ奪われる。

わたしはもう、いままでの人生で十分すぎるほど与えられてきた。

それでもなお、まだ自分の命が尽きていないという事実。

その事実にだけは目を背けず、自分の命が奪われるその瞬間まで精一杯生きようと、息子の顔をみて誓ったのだった。