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誰かを愛する心はどこから来るのか。

3,4年ほど前のことでしょうか?
わたしは結婚してしばらく経ち、子供が出来るか出来ないか…確かそんな時期。要するに、幸せに満ち溢れていた初々しいときのことです。

特に意識してもいなかったとある知人が、ある日、夢の中に出てきたのです。

そして、夢の中でわたしたちはセックスをしている…。

セックスをする夢というのは誰でも見ることがあるのですが、この時のわたしの心中はかなり穏やかでなかった。

夢から醒めて、わたしはどうしようもない自己嫌悪に襲われました。

「夫と仲良く暮らしていているし、彼に対して何の不満もない。
なのになんで、他の人とセックスする夢なんか見ちゃったんだろう?」

と…。

しかし、苦痛はこれだけで終わらなかったのです。
なぜなら、あまり間を空けずに、同じ人とセックスする夢をまた見てしまったから!

現実の世界で、わたしはその夢の中の相手と顔をあわせる機会がありました。

でも、2回もこんな夢を見たあとからは、1人で勝手に気まずくなってしまって…。

できるだけ、会わないで済むように用意周到に避けるようになってしまったく。

なんだか変なハナシですよね。

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今日、親しい友人と話をしている時に、「一人の人を愛する」という気持ちがどこからやってくるのか?という話題になりました。

興味深かったのは、日本の古典文学(源氏物語など)に出てくる「夢」についての逸話。

男女が恋愛するにおいて、「夢の中で出会う」「夢の中で愛し合う」現象が起きると、その夢は物語のなかで「現実世界で起こったことと同等に扱われる」のだそうです!

夢の中で愛し合うというのは、即ち「自分が相手のことを愛している」もしくは「相手が自分のことを愛している」という解釈なんだそう。

→(このことについて書いてあるリンクを、友人が教えてくれました。http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1183313216)

さらには、現実で出会ったことがない男女が同時に夢をみて、互いの存在を知る。
そして、その夢をたよりにして現実世界でお互いを探し求める…という、ファンタジックな展開もあるとのこと。

わたしがなるほど、と思ったのは、日本人がはるか昔から、「夢」という不確かなものと現実を結びつける習慣があった、ということです。

夢というのは、どんなに思い入れがあろうとも個人が無意識下で作り出した幻影です。

だけど、冒頭で示したわたしのように、自分が作り出した幻影に心が支配されて、「夢で出会った相手と距離をとる」という判断を現実世界で行ってしまう、ということもあるわけで。

そう考えると、夢だから現実とは全く関係ない、あくまでフィクションなんだ!とも言い切れないのかもしれない。

そんなことを思ったんですね。

で、夢と現実が相互に作用しあい、果てには、どこかまでが夢でどこまでが現実だったのか、明確な線引きができなくなって…。

夢の中で愛し合った人のことを現実に愛してしまう。

そんな経験をしてきた人も、きっと遥か昔から、たくさんいたのでしょう。


そう思うと、人を愛するって、ものすごくフィクションめいた幻の産物なのかもしれない。

だけど、実際に「愛」が生まれてしまえば、それをフィクションだと一蹴することもできない。

だって、どんな過程を経て誕生した感情だとしても、それは紛れもなく「愛」なのだから…。
(そして、その想いがたとえ成就することがないとしても。)


そしてそこには、「利害関係」や「情」とは違う、やたらと澄み切った感情が宿っているのかもしれません。

うーん、そう思うと、夢で愛し合うってとてもキケンな香りがする。


今日は、ふとそんなことを思い、過去の自分をほんの少し許してやろうと思った1日なのでした。

おしまい。

(ちなみに、キリスト教を信仰している人々は、「愛」を「神から与えられるもの」として獲得するのだそう。
一神教多神教では、愛の獲得の仕方が全く違ってくるというのがとても興味深い。)