感情はいつも独りよがりで普遍性がないから信じるに値しないと思っていたのだけど。

わたしは、常に「幸福でも不幸でもない心境」を維持したいと思って生きてきました。


なぜなら、人は幸福なときに「不幸そうな人間」を邪険に扱いがちだし、不幸なときに「幸福そうな人間」を疎ましく感じがちだから。

 

だからどちらでもない感情を維持していれば、排他的にならずに済むのかな、と思い続けている。

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…というより、そもそも「感情」というものはとてつもなく独りよがり。

本当に、それって信じるに値するものなの??って、常に疑って疑って疑いながら過ごす日々です。

 

わたしが疑っているもの一覧を挙げるとしたら、こんなかんじかなー。

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1、年長者の言うこと

(なぜだか、自分より年下の人間の言葉にはひどくリアリティを感じるのに、年上の人間のそれにはリアリティが感じられない。→やはり、自分がまだその年齢を経験していないから?もしくは、年長者は自分たちよりも早くこの世を去ることを無意識の中で意識しているからだろうか。)

 

2、自分の感情

(他人の喜怒哀楽はひどくリアルなのに、自分の感情となるとどこか他人事のように突き放してみてしまう。)

 

3、善悪

(もっとも普遍性がないものの一つが善悪の判断だと思う。長い眼でみれば、この世に善いも悪いもないであろうに、人間はせいぜい自分の一生くらいの短期的なスパンでしか物事を考えていないから善悪を安易に決定している気がする。…思考することの放棄?)

 

4、幸福と不幸

(これも、理由は概ね善悪と同じ。

ただ、善悪よりもより一層、独り善がりな価値判断の香りがプンプンするのでいけ好かない。

わたしが一番嫌なのは、大体の人が幸福は善で不幸は悪だと思っていることかな。

世界のほとんどの人たちが自分自身や家族の幸福を祈って生きた代償として、それ以外の多くの人々の幸福を奪い取っているという事実をどう判断するのだろう?)

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とまあ、ざっと並べるとこんな感じなのですが、それでもわたしには幸福な感情もあるし不幸な感情もある。

 

これは善だ!と思う出来事もあれば、これは悪だ!と思う出来事もある。

 

…客観性をマックスまで上げて生きようとしても、どこかに「心」という目に見えない防衛本能装置があって、一瞬にして理性をすべて吹き飛ばす恐ろしい力を持っている。

 

わたしは、自分の心の動きを感じるとき、いつも恐ろしくてたまらない。

 

どんなに感情や心というものが独りよがりで普遍性に欠けるものだとしても、真のボスは脳みそではないということ。

 

わたしたちは、どんなに努力して排他的にならないよう生きようとしても、最後の最後には心に従って生きざるをえないんだ…だってボスの言うことに背いたら、人間でいることを諦めなければいけないからね。

 

そんなことをつらつらと思っていると、早くこの肉体から脱出してしまいたくてしょうがなくなる。

 

シャワーを浴びる前、洗濯機の前で服を脱いで裸体の自分を鏡に映し出して眺めてみる。

 

この顔も、この髪も、この身体も、本当にわたしのものなんだろうか?

 

27歳・女性 という肉体の中に入っているわたしの心と魂は、どうもこの入れ物がいけ好かない。

それは、理想の身体と現実の身体が違っているからいや。というのではなく、圧倒的に「わたしの魂にこの入れ物は似つかわしくない。」という類の拒絶反応だ。そこには、もはや理想さえ存在していない。

 

ああ、なんて煩わしいこの身体!

 

この入れ物がある以上、わたしはどんなに努力したって排他的にならざるを得ないんだ。

あと何年この身体と共に生きれば赦されるのか。

 

誰に?

 

自分に?家族に?夫に?息子に?これまでの人生で傷つけてきた全ての人間に?

 

わたしは一体誰に赦されたい?

 

久しぶりに、精神と肉体が音を立てて乖離したような感覚になって非常に気持ちが悪いです。

 

足元から頭の先にかけて、すーっと細胞が上昇してクラクラする感覚。

 

いけないいけない、早く心を身体の真ん中に戻さなくては…。

 

こんなときは、瞑想したり、川を見たり山を見たり、着物を着て能のレッスンをしたりするとだいぶ落ち着く。

 

日々、生きることは工夫の連続だ。

工夫できる間は精一杯工夫して生きようと思っているけど、こんな細々したこといつまで通用するんだか…。

 

生きることは本当に難しい。

だけど、死んだところで死んだなりに新たな役目を与えられるだけだと知っているから、わたしは易々とは死ねない。

 

「死んだら楽になる」っていうのも、人間が考え出した自己中心的な妄想に過ぎないよね。

 

魂の世界というのも、決してそんなに甘くはないんだ。

 

(追記)

わたしが自分の身体と精神が一体化してると感じられる瞬間は、

1、絵を描いてるとき
2、セックスしてる時
3、人の顔を触ってる時(仕事中)
4、着物きて能や舞のレッスンしてるとき
5、音楽を聴いてるとき

かな。上に行くほど一体感が強い。

 

そしてもう一つ思うのは、

農耕がほとんどの人にとって仕事だった時は、ほぼ一日中、身体と精神に一体感があったのではないかしら?

 

あと、スポーツが仕事の人とかもいいよね。

脳みそばかり使う仕事が増えた現代では、身体と精神の乖離は避けられないということ。

もはや、身体を持って生きることが足枷にしかならない時代に突入しているのでしょう。

 

今は、人間の在り方そのものの過渡期なんだ。