圧倒的な寂しさのなかで生きる。

 

シン・ゴジラ君の名は。が大ヒットしたことにより、日本人が2011年の震災でどれだけ深く傷ついてしまっているのかが証明されたように思います。』

 

-------------

 

……これは、とある評論家の先生がおっしゃっていたとても印象深い言葉です。

要するに何が言いたいのかというと、『こんな取り返しのつかない大惨事が起こったにも関わらず、最後には大いなる力を持った第三者がわたしたちを助けてくれるだろう。』という幻想にすがりつくことでしか、わたしたちは心の平安を保てなくなってしまった。ということ。

-----------

わたしは2011年、震災が起きてすぐに東京でボランティア活動をしていました。そして、2011年6月には石巻市へボランティアに行き、完全にデストピア化した港町の風景を見てきたのです。そして、その土地で今でも暮らす人々の姿も…。

当時、被災した人たちの心に寄り添えない自分の無力さにウンザリしていたものの、わたしは『自分こそ、この震災により傷ついている。』という自覚がなかった。

でもあれから5年が経ち、なんとなく、震災が『過去の歴史』として遠巻きにされる時期に突入してやっと、自分が震災(特に原発)のせいでどれだけ傷ついているか、ありありと分かってしまった。
それからの生活は、まあ、辛いよね。自分の傷に、日々責められるのだから。

だからと言って、そこで思考停止して、『わたしを助けてくれる第三者』の出現をノンビリ待っているわけにはいかない。

わたしは歴史を学ぶのが好きだ。だけどそこには、目を背けたくなるくらいの残酷な光景がズラリと整列し、人間が永遠に背負わなければいけない『罪』が積み上がっている。

自分にとって、都合のいい事柄だけを情報収集して、安心すること。そんなのは学びでもなんでもない。

自分の固定観念を揺さぶる仕組みを構築することこそ学びなのに、みんな(わたしも含む)傷つきすぎていて、真正面から歴史と向き合うことができない。

それが現代の日本人の等身大の姿なんだろうと思った。

 

 

わたしは毎日とても寂しい。

 

 

なにが寂しいって、

 

『震災のせいですごく傷ついているんです。』

 

って、隣にいる人と話すことさえ許されない空気の世界に生かされていることが、だよ。