『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』からの覚書。

最近、自身が発達障害であることをカムアウトして話題になっている栗原類さん。

ネットに出ていた いくつかの記事をよんで、とても興味を持ったので著書を買いました。

彼の幼少期の出来事などを読んでいると、すごく親近感がわくことが多い…。

 

たとえば、あまり仲良くもないのに好きになった女の子に告白し、振られたときのエピソードを振り返ってのひとこと。

 

普通は互いのことをよく知ってから好きになるんだということに気がついていなかったのです。これは昔から僕が他人に対する興味が薄かったことが裏目に出てしまった結果だと思います。

 

ああ、なんか分かる!

わたしは思春期のころからいままで、人を好きになるときは一目惚ればかり。時間をかけて好きになるという経験がほとんどありませんでした。

 

一番分かりやすいのは、夫を好きになったときのエピソードでしょうか。

 

夫と出会ったのはわたしが17歳のときで、その時はなんとも思わなかったのですが、なぜか18歳で2回目に彼と話したとき、「あ、わたしはこの人と結婚する。」と信じて疑わなかったのです。

 

紆余曲折を経て、わたしと彼は本当に結婚したのでめでたしめでたしですが、客観的になるとこの思い込みにはドン引きですね。

 

現に、わたしが彼に片思いしていた時期を知っている友人には、「ストーカーじみてて気持ち悪い。」とも言われていました。そうですよね、その通りだと思うよ…。

 

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母親に聞いたことがあるのですが、わたしは生後半年経っても寝返をうたなかったそうです。(平均的には、生後3ヶ月くらいで寝返りうちます。)

 

しかも、産まれてから一度も、注射で泣いたことがない。

最初は痛覚がないじゃないかと心配したとか。

(ちなみに現在、痛覚はあります。ただ、出産を含め痛みで泣いたことは人生で一度もないので、感覚は鈍いのかもしれません。)

 

母は、「もしかして、障害がある子供なのかな?」と思ったそうですが、わたしが三人兄弟の末っ子だったのもあり、日々が忙しくそこまで深刻に悩まなかったそう。

よって医者に連れてかれることもなく、わたしは「普通の子供」として育ってきました。

 

なんですが、子供の頃を思い出してみるとやはりちょっとおかしかったと思う。

 

まず、他人はおろか、家族ともあまり会話をしませんでした。

いつもじっと黙って、人の話を聞くだけで発言はしない。小学校低学年くらいまで、あまりにも一人で本ばかり読んでいるので担任の先生に心配されていたのをよく覚えています。

(他人への興味が薄かったのでしょう。思えば空想ばかりしていた幼少期だった。)

 

そして、小学校に上がると『変なこだわり』に固執する日々でした。

 

朝は何時の電車に乗って、帰りは何時の電車に乗る。そのためならいくらでも走るし、友達だって置いてく。

他人とのコミュニケーションよりも自分が決めた時間の電車に乗ることが大切だったのです。そのこだわり自体には何の意味もないのですが…。ただなんとなく、秩序が乱されると落ち着かないんですよね。その傾向はいまでもあります。

 

成人してからも、なんかわたしっておかしいなあと思うことは多い。

 

まず、真剣に人の話を聞いていると、何故か寝てしまう。

別に寝不足でなくとも眠くなってしまうのです。わたしがあまりにも授業中に寝ているものだから、大学の友人がびっくりして、「それ病気だよ!」といわれたことも。(もちろん、座学の成績は常に悲惨なものでした。特に暗記系。)

 

あとは、人が話している内容に過剰反応する癖が大学生くらいまでずっと治らなかった。

芸大に通っていたとき、先生と生徒でグループディスカッションみたいなものをすることがあるのですが、そのときに同級生が言っている意見に拒絶反応を示してしまい、ずっと手で耳を塞いでいたことがあったなあ。

 

社会人になってからは、本当にたくさんの人と会話をするようになったので、他人の意見に拒絶反応を示すことはずいぶん減りました。

それでも、未だに複数人でのコミュニケーションで勝手に傷ついてしまうことは多いです。最近は、そんなシーンでも傷つかないで済むようになることが目標…。

 

(こんな人間だったので、学生時代にぼっちであったことは言うまでもありません。)

 

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それでもいままで、わたしは自分が病気だなんて思ったことは一度もありませんでした。

 

だけど今年に入ってから、やたらと心身の不調を起こしやすくなり、夫に「病気だから早く医者に行け」「おまえの自己肯定感の低さは異常」と言われるようになって、やっと自分がいわゆる病気なんじゃないか?と疑うようになりました。

 

ナチュラルに「死にたい」って言うし、調子が悪いときは動機や不整脈がすごいし、幻聴もよく聞こえる。

 

夫が言った些細な言葉に傷ついてはすぐ泣く。(しかも外食中とか)

 

わたしは自己愛がゼロどころかマイナス評価なので、ちょっとでも「正しくない」と思う言動をしてしまうと、自分が許せなくなって怒りが湧く。

 

そういった自分の中の繊細さとこだわりが、自分の精神を追い詰めているのが分かります。

 

それでも自分なりに、こだわりをプラスに転換して生きられるよう、工夫しているつもりです。

 

だって、持って産まれたものは取り替えようがないのだもの。天性のセンスを批判したところで誰も幸せにはなりません。センスは生かしてなんぼです。

 

 

栗原さんの本を読んでいると、彼を支えてきたお母様の一言一言が胸に刺さります。

 

「十人十色」という言葉を大切にして、ADDの症状も「個性」として受け止める。

その上で、社会人としてマイナスになってしまいそうな場面ではしっかりとフォローすることを忘れない。

 

そんなお母様の支えがあったからこその栗原さんなんだな…と思うと、「わたしも、数多くの他者の支えがあるから生きていられるんだなあ。」と再確認できる。

 

いつもわたしを支えてくれる夫や夫の両親、わたしの母、暖かい友人たちには頭が上がりません。

 

今日はちょっと熱があって

散漫な文章で申し訳ないのですが、感謝の気持ちを綴っておきたかったので覚書までに。

 

(わたしは本当にラッキーな人間だなあ。

死にたがりだし(自己愛のない人間が生きていていい理由を見つけるのはなかなか大変なのてます)、不整脈もあれば幻聴もあるし、極め付けは体力もない。

それでもなぜか学歴はあるし商売はまあまあ成功してるし、真面目な夫もいるし可愛い息子までもててしまった。

たまに、なんでわたしみたいな人間がこんなに色々なものを手に入れて生きてるんだろう?と、不思議な気分になります。)