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争いと芸術の歴史を想うアメリカ大統領選。

 

アメリカの大統領選が終わった。

 

そして今日は、わたしの脳内ソング=ワルキューレの騎行だった。

 

 

 

わたしにとってのワルキューレはもっぱら地獄の黙示録(ベトナム戦争)であり、ワーグナーナチスの象徴(ホロコースト)。

この脳内再生、アメリカ大統領選の影響があるんだか、ないんだか。いずれにせよ争いと芸術の蜜月関係を、自分の空想世界のなかで改めて感じた。

 

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(最近、なんでか2011年の思い出が怒涛のペースで思い出される。

 

上野の喫茶店で仲良かった油画の先輩たちと話していて、
『あの津波の景色は、不謹慎なのは承知でいうけど美しさがあった。画家なら、あの光景に美しさを感じる感性はどうしても拭えないんじゃないのかな?』
と、先輩が言ったのをふと思い出したの。

 

当時、自分はもちろん、先輩や芸大の先生をはじめとする『美術家』全般が信じられなかった。

美術家っていうのは、本当に信頼に値する感性を持っている人間なのだろうか?と、心の底から疑った。
当たり前だけど、作品の質は誠実さで決定されるものではないから、そんなことを考えること自体が愚問なのだろう。それでも、わたしは考えていたし、少なくとも自分は次世代から信頼される大人になってみたいと、強く思ったのを覚えている。

 

そして五年経ったいまとなっては、美術家よりも、ドキュメンタリー作家よりも、小説家や詩人のほうが遥かに信頼に値するんじゃないかと思ってる。言葉というメディアのもつ特性なのかもしれない。

 

世界で一番有名だった壁が民衆の手により壊された記念すべき年に生まれた赤ん坊の私は、27年の時を経て、圧倒的な他者との隔たりのなかで生きていくことになるとは思いもしなかったろうに。

少なくとも、ただ生きることがこんなに悲しいことだとは知らなかったよ。

何もかも困難でいやになるけど、感情をぐっとこらえて、少なくとも、まだ見ぬ孫たちの世代に土下座する心意気だけは死ぬまで持っていなければならん。

 

わたしが生きる理由を『あえて』持っているとすれば、それは孫の前で土下座する未来を迎えることかもしれない。(※比喩ですよ。)